障害者歯科を知る

障害者歯科における薬物的行動調整法(お薬を使った歯科治療)

歯科医師として障害者歯科に関わる中で「発達障害があり、歯医者の椅子にじっと座ること、治療中我慢することなどができません。そのため、いつも数人がかりで押さえつけたり、口を開ける器具を使ったりして治療しています。押さえつけないで治療してもらえる方法はありますか?」というような問い合わせを受けることがあります。

今回の記事では、何らかの障害があり通常の歯科治療を受けることが難しい方へ、安心して治療を受けていただくためのお薬を使った歯科治療(薬物的行動調整法)についてご紹介いたします。

目次

不安や緊張を取り除くための行動調整

小さなお子さんや知的障害(精神遅滞)のある方では、新しい事柄や治療への理解力の不足から歯科治療を受ける際に、大泣きや暴れてしまうなどの不適応行動を起こしていまい、治療を受けるのが難しいことがあります。また、脳性麻痺の方は不安や緊張による不随意運動などで、お口を開けた状態を保てなかったり、治療用の椅子に座っての姿勢保持が難しかったりすることなどもあります。

このような精神的緊張状態が続くと、血圧や心拍数などに悪影響をおよぼし、合併症を引き起こすなどの、治療に対するリスクを高めることにつながります。

行動調整とは、そのような方に対して、患者さんの不安や緊張を取り除き、拒否行動や不随意運動のような歯科治療を受けるための妨げとなるような患者さんの心身の反応や行動を予防・制御することで、患者さんと医療者の両者が安心して治療を進めていけるように、患者さんの状態をコントロールする方法です。

歯科治療で応用されている行動調整法

歯科治療で応用されている行動調整法には以下の方法があります

1. 行動変容法

特別な器具、器材や技術を必要としない方法で、トレーニングだけではなく、どの場面でも応用できる最も基本的な方法で、これまでに培われてきた行動パターンを、より望ましいものに変えていくことです。

・よく使う行動変容法①【TSD 法 (Tell Show Do)】:これから行うことを言葉で説明し(Tell)、実際に使う器具や道具を見せ(Show)、説明したことを行う(Do)方法です。行動変容法の中でも非常に有効な方法で、TSD 法を基本にトレーニングや歯科治療を進めることが多くあります。

・よく使う行動変容法②【オペラント条件付け】:報酬と罰をタイミングよく与えることで適切な行動に導く方法です。歯科診療の場面では報酬として、「がんばったね」「上手だね」など“ほめること”が特に頻用されます。

・よく使う行動変容法③【系統的脱感作法】:弱い刺激のものから克服していき、順に強い刺激にステップアップさせていく方法です。歯科における弱い刺激は歯ブラシによる歯磨きです。まずは座って歯磨きをするところから始め、椅子を倒して(水平位で)歯磨き、デンタルミラーや探針、バキューム(口の中の水分を吸う器具)の使用というように、目標とする治療内容ができるようにトレーニングを繰り返します。

・よく使う行動変容法④【10 カウント法】:医療者が 10 を数えながら処置を行うことで、先の見通しをたたせる方法です。10秒が難しい場合には、5秒や3秒など短い時間から始めることもあります。

2. 体動のコントロール

医療者による抑制や、器具や器材を用いて患者さんの動きを安定させる方法です。患者さんや保護者の同意の下に行います。必要以上の体動コントロールは事故や合併症などを生じる可能性があるため、できる限り避けたい方法です。

3. 精神鎮静法

お薬(鎮静薬)を用いてリラックスした状態で治療を受ける方法です。意識下でボーっとした状態で治療を行うため、治療に対する患者さんの協力度が低い場合や、身体機能が低下している場合などは、応用が難しいことがあります。

4. 全身麻酔法

お薬(全身麻酔薬)を用いて完全に意識のない状態で治療を受ける方法です。無意識下のため患者さんの状態に左右されず、安全で快適な治療を行うことができます。

安全な歯科治療のための薬物的行動調整

前述の行動変容法のうち、「3. 精神鎮静法」と「4. 全身麻酔」にあたる、お薬を利用した行動調整法のことを薬物的行動調整といいます。障害のある方が、安全で快適に歯科治療を受けるために、欠かせない方法です。障害の程度や治療内容に合わせて、精神鎮静法(笑気吸入鎮静法・静脈内鎮静法)や全身麻酔が選択されます。

薬物的行動調整としての精神鎮静法

精神鎮静法とは、ウトウト寝ながら治療を受けていただく方法であると説明しました。治療中の緊張を和らげ、健忘効果(記憶をとってしまうこと)があるため治療中の恐怖心を取り除くことができます。おもに、笑気吸入鎮静法と静脈内鎮静法・静脈麻酔がよく行われます。

笑気吸入鎮静法とは?

笑気吸入鎮静法:鼻や口から呼吸をして亜酸化窒素(笑気ガス)を吸入することで鎮静効果を得る方法です。歯科治療時の吸入鎮静法には鼻マスクを用いますが、マスクに対する恐怖心を与えないようにトレーニングを行うことが重要です。

笑気吸入鎮静法のメリット
・点滴を確保する必要がない
・安全性が高く、簡便である

笑気吸入鎮静法のデメリット
・鎮静効果が弱く、適切な鎮静状態を得られないことがある
・意思疎通や鼻呼吸ができないと十分な鎮静効果を得ることができない
・嗅覚過敏のある自閉スペクトラム症などの患者さんには難しい
・専用の装置が必要であるため、どこの歯科医院でも行えるわけではない

静脈内鎮静法・静脈麻酔とは?

静脈内鎮静法・静脈麻酔:治療に伴う不安や緊張を取り除く方法です。点滴をとり、静脈に鎮静薬を注入することで不安や緊張を取り除き、治療を受けることができます。全身麻酔とは違い、意識がなくなることはありません。意識を無くすことなく、不安や恐怖心のないリラックスした状態を作ることができる方法です。また、静脈内鎮静法には健忘作用(記憶を忘れる作用)があるため、治療中の嫌な記憶が残らない場合が多くあります。

静脈内鎮静法や静脈麻酔は安全性の高い方法であり、多くの患者さんに使用されていますが、まれに呼吸や血圧に影響する場合があります。そのため、鎮静法についての知識・経験を持った歯科麻酔科医が行う必要があります。

静脈内鎮静法静・脈麻酔のメリット
・笑気吸入鎮静法よりも確実な鎮静効果が得られる
・不安や緊張を取り除く効果が強い
・循環(血圧など)を安定させる効果がある

静脈内鎮静法静・脈麻酔のデメリット
・設備と歯科麻酔科医が必要である
・治療前の経口摂取制限がある
・点滴確保が必要である

全身麻酔とは?

全身麻酔:全身麻酔は患者さんに治療中の苦痛を与えません。また、動いてしまう、暴れてしまうといったことがなくなるため、安心して確実な治療を受けることができます。治療中の記憶を完全になくすことが出来るため、治療拒否などにつながる心配もありません。

全身麻酔は術者も安心して治療を行うことが出来るため、短時間にまとめて治療を行うことができます。多くの場合、日帰りで全身麻酔下に歯科治療を受けることができます。全身麻酔についても静脈内鎮静法・静脈麻酔と同様、専門的な知識・経験を持った歯科麻酔科医が行う必要があります。

全身麻酔って怖くないの?

全身麻酔は生後数日の新生児から100歳近くのお年寄りまで安全に行われている麻酔方法です。医療技術やお薬の進歩が著しく、全身麻酔のお薬の投与中止後おおよそ15分で目が覚めます。近年、アメリカでは治療を受けるのが難しい方(障害のある方や非協力児)に対する治療や親知らず(智歯)の抜歯に積極的に全身麻酔が用いられています。

また、日本でも、歯科だけでなく、耳鼻科や眼科などでも積極的に日帰り全身麻酔が多く行われるようになってきました。医療において100%の安全というものはありません。しかし、全身麻酔での重篤な事故は通常の歯科治療を受けていただく場合の事故よりも確率は低い(10万症例に1症例程度)と報告されています。

日帰り全身麻酔のメリット
・治療の完成度が高く、一度にまとめて治療を行うことが出来る
・患者さんの理解度や協力度に関係なく、治療を行うことが出来る
・脳性麻痺による緊張や不随意運動を抑制することができる
・身体を押さえつけたりすることがないため、心的外傷を残しにくい

日帰り全身麻酔のデメリット
・術前の検査や厳密な経口摂取制限が必要
・全身麻酔を行うための設備と人材が必要

まとめ

知的障害や心身障害があり、暴れてしまい歯科治療をしてもらえないなど困っている方がたくさんいらっしゃるかと思います。しかし、身体を押さえつけることなく安心して受けていただける治療方法があります。ぜひ、地域の歯科クリニックや口腔保健センターなどに、お薬を使った治療方法があるのか、お問い合わせください。地域の歯科麻酔科医や障害者歯科専門医・認定医がお力になります。

【参考】地域の歯科麻酔科医について
http://kokuhoken.net/jdsa/list/index.html

【参考】障害者歯科専門医・認定医について
http://www.kokuhoken.or.jp/jsdh-hp/html/nintei/sub_1_3.html

[筆者]
歯科医師|征矢 学

征矢歯科医院 副院長
(公社) 茨城県歯科医師会 口腔センター土浦

・博士(歯学)
・日本歯科麻酔学会 歯科麻酔専門医・認定医
・日本障害者歯科学会 認定医
・厚生労働省臨床研修指導医
・CDAC(臨床歯科麻酔科医による専門グループ)理事

【征矢歯科医院HP】http://soyadent.com/
【CDAC HP】http://www.cdac-masui.com/

※当記事に関するご質問等は「障害者歯科ネットのお問い合わせページ」よりお問い合わせください。

ABOUT ME
歯科医師|征矢学
茨城県で全身麻酔や静脈内鎮静法を用いた治療を行なっています。治療の不安や恐怖心のない安全で快適な治療を受けてみませんか?患者さんに寄り添う医療を常に心掛けています。些細なことでもお気軽にご相談下さい。※参考リンク:征矢歯科医院CDAC