障害者歯科を知る

高齢者虐待の現状と歯科との関わり

はじめに

日本は、2007年に超高齢社会(高齢者人口が全体の21%を超えた社会)に突入し、現在では高齢化率が27.3%となっています。そして、この先も高齢者人口の増加が予想されており、医療や介護における高齢者への対応が急務となっています。

高齢者が増加するなかで、徐々に浮き上がってきた問題があります。それは介護が必要な方への虐待、すなわち「高齢者虐待」です。最近ではニュースでも報道されているため、高齢者虐待の存在を知っている方も多くおられるかと思います。

高齢者虐待の現状は、“「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律(高齢者虐待防止法)」に基づく対応状況等に関する調査結果”を参照すると、平成27年度は虐待判断件数が16,384件だったのに対して、平成28年度には16,836件、平成29年には17,588件と年々増加しています。

いったい何故、高齢者虐待が増えてしまっているのでしょうか?ここでは、高齢者虐待の基本的な知識や最新のトピック、そして歯科医師からみた高齢者虐待の現状なども交えながら解説していきます。

現行の法律における高齢者虐待の定義と種類

“虐待”と聞くと暴力的なイメージがあるかもしれません。しかし、ひとえに虐待といってもいろいろな形があります。高齢者虐待防止法によれば、虐待には以下のような行為が該当します。

1. 身体的虐待:殴る、蹴る、つねるなど
2. 介護・世話の放棄・放任(ネグレクト):劣悪な環境での放置、排尿・排便の放置
3. 心理的虐待:怒鳴り散らす、無視をするなど
4. 性的虐待:わいせつな行為の強要
5. 経済的虐待:年金やその他資産を無断で使用する

こうした行為は、介護施設職員や養護者(高齢者の生活を支援する立場にある家族・親族・同居人)によっておこなわれます。虐待がおこる理由としては、高齢者と養護者や介護施設職員との関係性や、介護負担によって養護者や介護施設職員が疲弊する、いわゆる“介護疲れ”などが挙げられています。高齢者虐待は子どもの虐待と比較して、潜在化しやすい傾向にあります。もし、周囲の者がこれらの行為に気づいた場合は、お住まいの地域包括支援センターや行政機関の担当窓口(福祉課など)に相談をおこなうよう条文に記載されています。

高齢者虐待の現状 ― 自覚のない虐待とは ―

ここまでの説明であれば、高齢者虐待は絶対悪で、虐待するような人は冷たい心を持った非人道的な人間に思えるかもしれません。確かに、負の感情をもって高齢者に接するケースも存在します。しかし、高齢者の医療・介護の現場において、事態はそう単純ではありません。

実は、高齢者の安全や治療のためにおこなわれている行為が虐待にあたる場合もあるのです。その一つが「身体拘束」です。身体拘束は、認知症をはじめとした理解力の低下があるような方に対して、身体の安全のためにベッドや車いすに体を固定する行為のことです。例えば、足腰の弱った認知症の方は、自身が歩けないことを把握せず、立ち上がろうとします。その結果、転倒してしまい、骨折や頭を打つなどの大けがに繋がるため、それらを防ぐため車いすやベッドにベルトで身体を固定するようなことが、過去におこなわれていました。しかし、近年の研究ではこのような身体拘束が、高齢者の身体の機能を低下させ、認知症を助長することが分かってきたため、よほどやむを得ない場合を除き、原則禁止されています。

この身体拘束は、その状態や後の変化をみれば、「高齢者の身体的および精神的な健康が損なわれる行為」であり、高齢者虐待に該当するかもしれません。しかし、身体拘束は高齢者の健康や安全を思っておこなわれています。相手を思いやる気持ちが、すこし間違った方向へ向かってしまっただけなのです。このようなことが起きてしまう背景には、高齢者の抱える疾患や障害への知識や介護に対する知識の不足があると考えられます。まずは、養護者や介護施設職員に正しい知識を身につけてもらうことで、このような事態は防げると考えられます。

高齢者虐待の新しい概念「セルフ・ネグレクト」

近年、高齢者虐待関連で頻繁に話題に上がる用語があります。それが「セルフ・ネグレクト(自己放任)」です。これは、支援が必要と考えられる高齢者が、生活をしていくうえで必要な介護や医療のサービスを求める行為をおこなわずに、外部からの勧めに対しても拒否するなどして、地域で孤立し健康的な生活が維持できない状態を指します。厳密には、高齢者虐待の定義から外れますが、高齢者の権利擁護の問題において非常に注目されています。

セルフ・ネグレクトが問題視される最たる理由は、それが健康障害や死亡リスクに直結することにあります。時おり報道されているゴミ屋敷問題や高齢者の孤独死も、このセルフ・ネグレクトが原因であるケースが多いとされています。

本人の決断の下で生じる結果なので、本人が責任を持つべきだと思われる方もいるかと思います。しかし、セルフ・ネグレクトの背景には、うつ病や認知症といった疾患があり、支援の拒否が本人の本意でないことも多くあります。すなわち、望んでそうなっているわけではなく、支援の求め方が分からないから我慢している、支援の内容が理解できないため、不安感や恐怖感から支援を拒否しているといったケースがあるということです。このような場合には、セルフ・ネグレクトをおこなっている高齢者と信頼関係を築きながら、支援する意思を伝えるよう、説得を試みる他ありません。

高齢者虐待と歯科

歯科は高齢者にとって関わりが深い診療科の一つです。そのため、われわれ歯科医師は虐待を受けている高齢者に代わってSOSを発信する存在にもなり得るのです。この場合のSOSは、地域包括支援センターや行政の担当部署に相談することも含みますが、それ以上に高齢者に代わって、その者が置かれている現状を養護者や介護施設職員に説明することが大事だと考えます。先に例に挙げた身体拘束のように、自覚がなく、時として患者のためを思っておこなわれている行為もあるため、正しい知識を基に話をすれば、改善する見込みが充分にあるからです。

また、われわれ歯科医療に携わる者が、虐待者となってしまわないように注意する必要があります。過去には、拒否が強く歯科治療の提供が困難な患者には、「身体抑制法」と称して、身体を専用の器具や介助者の手によって固定しながら治療をおこなうことが多くありました。現在でも緊急性があったり他の手段がなかったりする場合に用いられる手段ではあります。しかし、身体拘束と同様に様々なデメリットがあるため、近年では身体抑制の適用が見直され、より慎重な判断が求められています。われわれ歯科医療に携わる者も、患者の疾患や障害に対する理解を深めるともに、患者個人のパーソナリティに目を向け、その患者に合った歯科医療の提供手段を検討する必要があります。

特に、認知症やうつ病が背景にあるセルフ・ネグレクトのある高齢者は、怒り出したり、暴れたりして歯科医療に対する拒否行動をとることがあります。安易に身体抑制を選択したり、「嫌がるので…」「認知症なので…」と治療を諦めたりしてしまうのではなく、まずは患者と信頼関係を築くことを最優先に考え、少しずつ歯科治療がおこなえるための下地を作る心構えが重要だと思います。

さいごに

高齢者虐待は、医療であれ介護であれ、高齢者に関わる人々の苦悩や疲弊が根本にある複雑な問題です。もし、行き詰ったときや悩んだときには、決して抱え込まずに誰かに相談してみてください。そして、疾患や障害に囚われず、性格や生活歴などから“その人”自身について知るように努めてみてください。そうすればおのずと介護や医療の提供の仕方についてヒントが得られるはずです。支援を受ける人も提供する人も、誰も苦しまずに済む社会が来ることを切に願います。

[参考文献]
東京都福祉保健局 高齢者虐待防止と権利擁護
厚生労働省 高齢者虐待防止
・日本障害者歯科学会雑誌 歯科治療時の身体(体動)抑制法に関する手引き

[筆者]
歯科医師|高城大輔
・神奈川歯科大学 全身管理医歯学講座 助教
・日本摂食嚥下リハビリテーション学会 認定士
・日本老年歯科医学会 認定医
・日本障害者歯科学会
・日本有病者歯科医療学会
※関連リンク:神奈川歯科大学附属病院

※当記事に関するご質問等は「障害者歯科ネットのお問い合わせページ」よりお問い合わせください。

ABOUT ME
歯科医師|高城大輔
歯科医師|高城大輔
神奈川県で高齢者の方への歯科医療に従事しています。特に認知症の方に安全で、無理のない歯科医療の提供をすべく、日々の診療で様々な対応法をおこなっています。認知症の方の歯や口のことでお困りの際は、ぜひご相談ください。