私は家族の介護のため30年以上続けてきたサラリーマンを50代半ばで退職しました。15年ほど前からアルツハイマー型認知症の母の介護と、C型肝炎で長く闘病し7年前に他界した父の看病をしていました。
歯科医でない限り、他人の口の中をじっくり見ることなどないと思っていましたが、還暦に手が届くような年齢になると、多くの人に子育てや両親の介護で、「自分以外の歯の健康」について考える機会があると思います。そして、私は現在、障害者の介護をする仕事をしており、利用者さんの歯の健康を気にしています。
私は両親の介護から多くのことを学びました。その中で強く思ったのは「歯は健康の入り口である」「身内だからこそ上手くいかないことがある」ということです。今回は、そのことについてエピソードを振返りながらお話しさせていただきます。
闘病中だった父の歯磨きは生活のメリハリになっていた
私の両親は、子どもの歯の健康には無頓着でした。子どもの虫歯は当たり前くらいの感覚があったのかもしれません。子供の歯の健康よりも仕事が優先、虫歯は病気じゃない、そんな時代だったのかも知れません。
今年30歳になる私の息子には虫歯がありません。私の経験から息子には虫歯との人に言えない戦いや歯医者通いはさせたくありませんでした。
私は虫歯の無い口を息子に持たせることは、教育と同様、親の義務と思っていました。そのため、乳歯の頃からせっせと息子の歯磨きをしました。毎食後の歯磨きと定期健診を習慣として身に付けてくれた息子には、いずれ私と同じ行動をする日が来てくれることを願っています。
その一方で父は毎朝晩、歯磨きを行う人間でした。病床に就き、食事の内容も徐々に変わっていき最後には流動食へと変わっていきましたが、三度の歯磨きは欠かしませんでした。
最後はベッドの上で受け皿を抱えてのブラッシングでしたが、それが本人の生活のメリハリになっていたようです。気弱になった父には私が毎食の介助とブラッシングの介助を行うことが生への支えになっていた、と後で看護師さんから教えてもらいました。
認知症になった母の歯磨き、身内による介護の難しさ
高齢者と歯の関係を考える上で、父のエピソードと対照的なのが母のエピソードです。親の介護ではどちらかと言うと、母のような場合が多いのではないでしょうか。
認知症の親の介護は、多くの方が今まで経験し、これから経験する高齢者の介護です。決して逃れることの出来ぬ峠です。年老いた親は、子に戻っていきます。
すべての機能が劣っていく中、在宅介護をしていた頃の母は、かたくなに私の言葉に抵抗して歯を磨こうとしませんでした。当時の私の胸中には、健全な頃の母がいました。そのギャップからつい声が大きくなり母を混乱させていたのです。これが身内の介護です。
グループホームへ入ってからは優しい介護の女性たちの言うことに素直に従って、毎食後に歯磨きをしていました。驚いたことに歯科へ通院もしていました。
そして、今でも健康な歯で食事を摂食することが出来ています。その時介護の女性たちが言っていた「私たちは24時間365日お相手するわけじゃないから出来るのよ」という言葉はとても印象的でした。
母の歯磨きで痛感!他人だからこそ出来る介護・介助
誰でも考えればわかることです。母がそうだったように「身内には甘え」ます。
身近な家族だけでなんとかしようとする気持ちは大切ですが、どこまで持続可能なのか、自分自身の将来を一度立ち止まって考えるべきと、私は考えます。
あなたの本当の幸せは何かを考えるべきです。いつまでも一人で背負い込んでいる姿を見ても「健全なご両親であったら』喜ばないかもしれません。あなたの幸せなくしてご両親の幸せはありません。
24時間365日をともに過ごす家族の介護は、どこかで必ず感情の起伏が現れます。一方で、第三者 (他人)の介入は、一般的な治療・対応・介護・介助が期待できます。
第三者による介護が加わることで、認知症の本人にはよい意味での緊張感が生まれます。それと同時に、日ごろ介護をしている家族にとっても、介護が楽になるという相乗効果が生まれます。これは第三者による介護の大きなメリットです。
まとめ
今回は、私の経験した高齢者介護と歯の関係についてお話しさせていただきました。闘病中だった父の看病では歯磨きが生活のメリハリとして働いた。一方で、認知症になった母の介護では身内として毎日抵抗にあったこと、第三者による介護に代わったことで素直に歯磨きするようになった経験をしました。
現在、私が仕事としているのは障害者介護ですが、どうせやるなら、いろいろな障害者の方の介護につき合わせてもらい、他人に伝えることの出来る歯のケアを含めた介護技術を残したいと思っています。
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